トランジスタ・ブレイン

しがないAヲタによる赤西ネタとバンド系音楽ネタメインのブログです。最近はUVERworldがアツい
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【ドラマ】『臨床犯罪学者 火村英生の推理』について


<神は細部に宿る>という話

をちょっとしたい。


2016年1月期ドラマとして放送された『臨床犯罪学者 火村英生の推理』が昨夜最終回を迎えたよ。

一部のミステリ好きにはもはや説明不要の超人気シリーズとして知られている「作家アリスシリーズ」(もしくは火村シリーズ)が原作のあれ。

「作家アリスシリーズ」については10年以上前に何作か読んだっていう程度で(しかも細かいトリックとかもはや朧げだし)強い思い入れなどが無い分、原作どうこうをあまり気にせず割り切った頭で見れるかな〜とか思いながら視聴し始めた訳です。

で、原作と比較してどうこう以前にあまりにも脚本がお粗末すぎてミステリドラマとして成立してないだろこれって唖然としながらも斉藤火村と窪田アリスの衝撃的な萌えっぷりに撃沈し、まんまと最終話までリアルタイム視聴をした次第

何だろうこの敗北感。


というかそもそも私は「連ドラ」なるものを最後まで見続けた経験がほぼない。視聴完走した作品なんて人生でも多分片手で十分なレベル。
スポーツみたいにライブ性が重要な訳でもないのに毎週同じ時間にテレビの前にいなきゃダメとか無理ぽだし、録画したらしたで見ないまま放置しちゃうようなモノグサなのですわ。

そんな私に最後まで見させた斉藤工版<火村英生>と窪田正孝版<有栖川有栖>の萌えたるや。


「萌えの暴力」に1ランドKOされたというしょうもない動機で最終話まで見たんです。
で、最終話までみたからこそ言いたいことが腐るほどある。

(長い前置き)


言いたいことを一言に集約するなら『脚本もっと練って下さい(血の涙)』に尽きる。

以下、その一言の中に込めた感想と要求をひたすら書きなぐるでござる。





短編の多い20年以上続いている原作シリーズと、一話完結スタイルを取りながらもわずか10話前後の物語の全体に一本の「背骨」のようなものを通してそれを着地させないといけない連ドラとではその在り方の差から、大なり小なりのアレンジやオリジナル要素が加わるのは致し方ない、と思う。

そこに関しては細かーーくあれこれ言うつもりはあんまり無いっす。
というか最初に言った通り原作シリーズにそこまで精通しているわけではないので、そもそもそんなに細かく言及しようがない。

ので、これはほとんどドラマ版のイチ視聴者の感想として書いていると思っていただければ。


【ミステリドラマと火村の内面、どちらに軸を置くにしても脚本の強度が必要】


ドラマ版で「背骨」として埋め込まれたのは「火村英生の殺人願望」と「それを実行しないように踏みとどまり続ける火村」だったと認識している。
(この「背骨」自体はドラマオリジナルって訳ではない)

初回放送から繰り返し繰り返し出てきた「人を殺す火村」の妄想(?)映像や「あちら側」「こちら側」というワード。
崖から“前向きの姿勢”で転落して行く火村とその火村に必死に手を伸ばすアリス。

「人を殺したいと思ったことがある」と人前で断言したり、「学問にかこつけて人を狩る」という代償行為的なセリフも出てきたし。

火村をそうさせる(させた)ものが何なのかは明確に描かれないにせよ、とにかく「火村の危うい昏い精神」は最初から全面に押され続けていた訳だから。

その視点でいくと、原作ではそんなにフィーチャーされている訳でもない坂亦少年とかシャングリラ十字軍(諸星)が毎度ちょこちょこ出ずっぱって来ることも一応納得はできるんですよ。


ドラマにおける坂亦少年は火村自身が「昔の俺を見ているようだ」という主旨の発言をしている通り、ドラマ本編で描かれることのなかった「過去の火村」の直喩的なキャラクターとして位置づけられていたのだろうと。

筋金入りの原作ファンがこぞって憤慨していた「この犯罪は美しくない」というまるで美しい犯罪を追い求めているかのようなドラマ版火村のセリフ。

正直最初このセリフが出てきた時は「あ〜、日テレだし某名探偵の孫のドラマみたいな決め台詞やりたかったのかな〜」とか思って興ざめしてたんですけど、坂亦少年と火村が対面を果たした時に「美しい犯罪」というワードを坂亦少年に言わせ、火村が「美しい犯罪なんかねーんだよ」と真っ向否定をすることで、「過去の火村」を「現在の火村」が否定する構図になっているので、その構図を強調する為に「この犯罪は美しくない」というセリフを冒頭からあえて火村に言わせ続けていたのかな、とか。


んで、そうやって否定される「過去の火村」的な存在の坂亦少年とは別に、今でも火村の中に横たわる殺意(ドラマでは獣とか真の姿とかって言葉で表現されていたもの)を呼び起こす為の存在(=装置)として用意されたのが恐らく諸星なんでしょう。

シャングリラ十字軍ってこんなに本編に絡ませる必要あるか???とは思いつつ、一話完結スタイル・全10話という短いスパンの中で火村の内面をクローズアップしようとしたら、本編を通して「火村の内面に言及し続ける」キャラクターを作り上げるという手法は理解は出来る。

そして、そうやって探偵ミステリドラマと同時並行して展開してきた「火村英生」一個人の内面物語を締めくくる上でも最終話に火村自身と犯人の命を賭けた短編『ロジカル・デスゲーム』準拠のエピソードを持ってきたのも分かる。

さらにそれを通過した上でなんで「ライヘンバッハの滝」モチーフな展開に持って行ったのか(しかもアリスがわざわざ火村に「ホームズ最後の事件」のモリアーティとホームズの当該シーンを説明する場面まで事前に用意しているし、諸星に銃口を向けた火村にもう一度「この犯罪は美しくない」と言わせている)、に関してはドラマオリジナルの火村英生というキャラクターの描き方として考察の余地もあったりするんですけど。
(単に火村の帰還によって(場合によっては二期やるよー)を仄めかしたいだけの可能性もあるw)

けど!!!!

ど!!!

それらのマニアックな考察・楽しみ方を阻害する大きな原因が「脚本の杜撰さ」なのだよ!!

あれだけ暴力的な萌えを生み出した点は感謝しているけれど、「脚本のクオリティ」というその1点だけは猛省を促したい。

あれこれドラマ版に織り込まれた設定や意図を考えようにも「こんな杜撰な脚本書く人がそんなことまで考えてるかな(白目)」に行き着いてしまうという意味でも、そもそも一視聴者として3ヶ月間見続けた「ドラマ」に対する純粋な評価としても。


建築の世界には『神は細部に宿る』という有名な建築家の名言があるようで、ザックリ言い換えると「(パッと目につく訳ではない)ディテールにこそきっちりこだわれ」ということだとな。


個人的には建築に限らず、創作物全般にある程度通じる考え方だと思っていて、なんというか作品のおおざっぱな骨格ととか全体としてやりたいことは理解出来て評価出来ても、やっぱり細かい部分が杜撰だと純粋に「いい作品だった」と言って楽しみ切れない面がある。

それが許されるのはインディーズバンドとかの音源が「技術が追いついていないけどやろうとしている発想は面白い」的な評価を受ける、ああいう時くらいなんじゃないかと。

キー局の1時間枠ドラマ、それも人気原作付きのドラマとして要求されるクオリティの最低ラインってそこじゃないでしょ。


というかディテールどころか「ミステリドラマ」としての骨組みの段階で既にグラつきまくっているし、話の展開も登場人物の行動も判断もクエスチョンマークのオンパレード&突っ込みどころ満載すぎて、このドラマの世界には馬鹿と非常識と間抜けしかいないのかよと。

なんか意味ありそうなことも、「単にこいつがアホなだけかも」とか考えちゃうじゃん。

ミステリを押し出すならというのはもちろんのこと、「火村の内面」を押し出すにしても、根本の「ミステリドラマ」としての脚本の強度がしっかりしててくれないと、グラグラと揺れまくる不安定な世界に集中が削がれて「全体」も「ディテール」もまったく生きてこないし作品のテーマに没頭出来ない。

ミステリとしての強度をもつことはミステリ以外の要素を光らせることとイコールなんじゃないなのか、と。

「深読み」っていうのはディテールまで作り上げてこそ、見ている側に与えられるものなんだぜーっていう。


Huluで最終回の補完要素をもったアナザーストーリー『探偵、青の時代』が公開されたけど、ジャングリラ十字軍や坂亦少年、火村の狂気という要素を排除してシンプルなマテリアルだけを用いれば、ミステリドラマとしての強度はあがる(そして萌えも維持される)というのがハッキリしたのは何とも言えない皮肉のような気もする。

要するに本編は「ミステリ」と「火村の内面」の両方をやろうとした結果、脚本がとっ散らかって結局どっちも中途半端になった、という。
(そして火村とアリスの破壊的萌え要素だけが残った・・・)

前述した、「ロジカル・デースゲーム」(探偵も犯人もしなずに済む解決策を実行)からの「ライヘンバッハの滝」(探偵も犯人も一緒に死ぬ)の流れも既にネット上ではいくつかの角度から考察されていますが、こういうオリジナル展開を純粋に楽しむ上での障害にしかならんのだよ〜この脚本の弱さが。


ここまでざーっと不満を書き連ねてきたけど、最初に言った通りそれでもこのモノグサの私が最後まで放送を見続けて、ついうっかりHuluに登録してBD-BOXを速攻で日テレWEB屋で予約する程度には好きなんですよ、斉藤火村と窪田アリスが。

なので仮に続編が製作されるならやっぱ嬉しいし、そうなった時は脚本の杜撰さは最優先課題としてどうにかして欲しい。

つーか原作にオリジナル要素や脚色を詰め込んで崩壊するなら原作に忠実にやるかオリジナル脚本やるかどっちかにしろ


そんなことをグチグチいいつつ通算5度目のアナザーストーリーをキメてくるぜ!!!
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